被災地から戻ってからしばらく体調を崩していました。
東京へ戻りました。東京は平和です。
現場は空爆で焼け野原になる方がまだまだましではないかと
思えるほど凄惨な光景だった。
東京に住んでいながら現場に立てたことに感謝したい。
死を意識することで本気で生きることができる。
ある意味では日本と世界を変えるターニングポイントかもしれない。
少なくとも自分はこれで目が覚めた。
先発と併せて11日間の活動だった。書きたいことは山ほどあるが全てを伝えることはできない。書けないことも沢山ある。衝撃が大きすぎてどのように伝えたらよいのか分からない。
被災された方々の明るい姿、スタッフの方々の献身的な姿が印象的だった。こちらが逆に元気をもらう場合もある。
私たちにはアルファースリームをはじめ、多くの災害対策のノウハウや情報がある。
物資提供にはどうしても限りがあるので全ての被災地というわけにはいかない。
今回の活動を経て何名かの方々から「自分も参加したい」「次はいつ行きますか?」などのお声をいただき驚いている。PMC本社搬出分はもう配りきった。もう少し時間をおいて今後の活動を考えてみたい。
また、今回強く感じたことは災害時食糧不足の次の問題は健康問題なのだ。エコノミー症候群が死因となるケースも多い。災害対策においても停電してからでは遅い。今のうちからアルファースリームを常備いただき、骨盤調整体操も覚えていただきたい。まずは「自分の健康は自分で守る」ことからはじまるのだから。
片平健一郎
■期間
・4月1日~3日(七ヶ浜町、塩釜市、多賀城市、岩沼市、名取市)
・4月9日~16日(七ヶ浜町、塩釜市、多賀城市、名取市、宮古市、釜石市、陸前高田市、気仙沼市、東松島市、石巻市、女川町)
■支援内容
・PMC本社搬出分ならびに皆様からの寄付でいただいたブランケット(アロマパットと含め)今回分120枚を被災地へ寄付。
・市の健康増進課、保健所や避難所の医療従事者へ手渡す。
・骨盤調整体操を保健師の方々へ教える。避難所では避難者に教える。月館先生は鍼灸治療。
■メンバー
・西田延康(山梨の代理店/骨盤セラピスト)
・大谷憲(アルファースリーム開発者)
・片平健一郎(PMC東京オフィス代表)
・佐藤誠司(PMC仙台オフィス代表)
・漢法・赤ひげ堂治療家
■主な提供先・慰問先
・宮古市保健福祉部健康課
・宮古保健所保険課健康促進グループ
・釜石市役所隣の避難所内企画調整係
・釜石小学校
・多賀城市総合体育館
・塩釜市役所秘書室
・七ヶ浜国際村
・七ヶ浜役場
・七ヶ浜公民館
・女川町勤労青少年センター
・女川町スローライフビレッジ野の浜
・牡鹿半島の小さな漁村(電気がない)
・女川町立病院
・石巻市の大谷社長の友人の薬剤師
・東松島市の保健所
・石巻市役所
・陸前高田市立第一中学校
・陸前高田市民部健康推進課
・気仙沼市民健康管理センター「すこやか」
・気仙沼市立気仙沼小学校
・多賀城市天真小学校
・多賀城市民会館
・塩釜ガス体育館
・塩釜市塩釜市公民館
・七ヶ浜市松ヶ浜小学校
・岩沼市民会館
・岩沼市総合体育館
・名取市保健所健康福祉部保健センター
- 今回は保健師の方々を中心にアルファースリームを活用した骨盤調整体操をお伝えさせていただきました。
投稿者:katahira 更新日:2011年4月23日
1週間前「ブログを見た。七ヶ浜町議会議員の伯父に会って欲しい」と一本の連絡が入る。2年間にも渡りアルファースリームの臨床・研究をいただいている聖隷クリストファー大学の大町かおり教授だ。
七ヶ浜市の避難所は数箇所あったのがこの日2箇所に統合される。その合併準備で忙しい中、大町睦夫町議会議員が丁寧に迎えてくれた。
(ちなみに小生の実家は宮城県白石市大鷹沢だが大町議員の先祖は400年前大鷹沢から今の七ヶ浜へ移住した。その際、小さな3つの部落が合併して「大鷹沢」になったがそれぞれの主の頭文字が付けられた。「大鷹沢」の大は「大町」の「大」である。そんな話でも盛り上がった。)
国際村、中央公民館、市役所の保健所を案内していただいた。
ここでも他県の(島根県)医師会が医療担当として従事しており、全国的なネットワークに感銘を受けた。(今回の活動で接触した外部医療チームは記憶しているだけで宮崎県、大阪府、島根県、愛媛県、東京都から来ている)
午後は塩釜市役所を訪問。
実は10日前に物資提供をさせていただいた後、市長より直接お電話をいただいている。
この日は市長不在で総務部長とお話させていただいたが、多くの訪問箇所がある中で、市長から直々の電話を頂き感動したものだった。
塩釜市の各避難所でのスタッフの対応も迅速で素晴らしい。市長の指導力と感じた。早い復興ができるであろう
※この日の主な訪問先
・多賀城市の大きな総合体育館を訪問。会館と医師団が連携してアルファースリームの活用法について協議。医師団の判断により管理している会館が貸し出すという取り決めをしていた。もう終盤となるとこちらも段取りが分かってくる。
・塩釜市役所 秘書室
・七ヶ浜 国際村
・七ヶ浜 役場
・七ヶ浜 公民館
投稿者:katahira 更新日:2011年4月17日
- 女川市街地から南の海岸沿い。小学校の校舎の上に引き潮時に流れたと思われる住宅が乗る
女川市街地 3階建ての屋上に流された車が乗っている
4月14日のレポート
前日は風邪でダウン。頭痛とだるさで身体が動かない。アルファースリームを纏いながら実に20時間寝て翌日には復活できた。
この日は石巻市と女川町をくまなく歩く。
芸能人やメディアが集まるところはまだ物資に恵まれている。どうしても避難者の収容人数が多い施設を慰問した方が効率がいいからだ。それはある意味仕方がない。
外れの小さな港町や原発のある地区はどのボランティアも行きたがらない。行く手段もない。
西田さんが前日NHKのニュースで女川町の避難所でこのようなメッセージボード持っている女性を偶然見つけた。
「朝は希望に目覚め。夜は感謝で眠る」
これは大谷社長の著書のメッセージと全く同じ内容だ。
しかし女川町中心部からもかなり外れにあり、さらに女川原発からも僅か6kmしか離れていない。
3人で悩んだ挙句行くことにした。場所はスローライフビレッジ野の浜。
海から20mはある崖の上に建っている。それでもさらに2階部分まで浸水したというから信じられない。電気や水道もないところだが漁師とその家族が明るく元気に過ごしていた。
しかし石森あき子さんという友人と旦那さんの区長が優しく丁寧に接してくれた。
「よしみちゃん(TVに出ていた)は物欲がなくとても優しい人だよ」
ここで骨盤調整体操を披露。みんな熱心に覚えていた。
皆さんの掲載許可をいただいて写真を撮らせてもらった。
風光明媚で長閑だ。復興したらぜひまた訪れたい。
- この対岸には女川原発がある。牡蠣やアワビの養殖も被害でできなくなった。
★★牡鹿半島の電気がない地区
※この日の主な訪問先
・骨盤セラピストの西田さんの紹介で女川町勤労青少年センター
・女川町スローライフビレッジ野の浜
・牡鹿半島の小さな漁村(電気がない)
・女川町立病院の物資担当者
・石巻市の大谷社長の友人の薬剤師
・東松島市の保健所
・石巻市役所
投稿者:katahira 更新日:2011年4月17日