東京都港区六本木7-4-14-2階 乃木坂駅 より徒歩3分/六本木駅より4分
ホリスティックウェルネス tel 03-6434-7601

七ヶ浜の仮説住宅が完成に向かっています! 10日前は基礎工事でした


掲載許可をいただいて大町議員と写真撮影 歯科医の齋藤道雄先生から物資提供いただいた乳酸菌生産物質も手渡す
 4月15日のレポート 

1週間前「ブログを見た。七ヶ浜町議会議員の伯父に会って欲しい」と一本の連絡が入る。

2年間にも渡りアルファースリームの臨床・研究をいただいている聖隷クリストファー大学の大町かおり教授だ。

七ヶ浜市の避難所は数箇所あったのがこの日2箇所に統合される。その合併準備で忙しい中、大町睦夫町議会議員が丁寧に迎えてくれた。
(ちなみに小生の実家は宮城県白石市大鷹沢だが大町議員の先祖は400年前大鷹沢から今の七ヶ浜へ移住した。その際、小さな3つの部落が合併して「大鷹沢」になったがそれぞれの主の頭文字が付けられた。「大鷹沢」の大は「大町」の「大」である。そんな話でも盛り上がった。)
国際村、中央公民館、市役所の保健所を案内していただいた。

ここでも他県の(島根県)医師会が医療担当として従事しており、全国的なネットワークに感銘を受けた。(今回の活動で接触した外部医療チームは記憶しているだけで宮崎県、大阪府、島根県、愛媛県、東京都から来ている)

午後は塩釜市役所を訪問。
実は10日前に物資提供をさせていただいた後、市長より直接お電話をいただいている。
この日は市長不在で総務部長とお話させていただいたが、多くの訪問箇所がある中で、市長から直々の電話を頂き感動したものだった。
塩釜市の各避難所でのスタッフの対応も迅速で素晴らしい。市長の指導力と感じた。早い復興ができるであろう

10日前に塩釜市へ物資提供させていただいた際、お渡しした資料が貼ってあった。


石巻市内の被災した家の土砂を掻き出し、掃除するボランティア。各被災地の災害ボランティアセンターで登録するとボランティアができる。


 
 
 

石巻市内幹線道路のトンネル 建築に詳しい西田氏は「1ヶ月でここまで補修されているのは素晴らしい! 足場を組んで天井が剥離しないように丁寧に補修している。ネジのコーキング補修も終えている。ケミカルアンカーの印まである!」ととても興奮していた。石巻は凄いらしい。


※この日の主な訪問先

・多賀城市の大きな総合体育館を訪問。会館と医師団が連携してアルファースリームの活用法について協議。医師団の判断により管理している会館が貸し出すという取り決めをしていた。もう終盤となるとこちらも段取りが分かってくる。
・塩釜市役所 秘書室
・七ヶ浜 国際村
・七ヶ浜 役場
・七ヶ浜 公民館

投稿者:katahira  更新日:2011年4月17日

 
女川市街地から南の海岸沿い。小学校の校舎の上に引き潮時に流れたと思われる住宅が乗る
 女川市街地 3階建ての屋上に流された車が乗っている
 
 

4月14日のレポート
前日は風邪でダウン。頭痛とだるさで身体が動かない。アルファースリームを纏いながら実に20時間寝て翌日には復活できた。

この日は石巻市と女川町をくまなく歩く。

芸能人やメディアが集まるところはまだ物資に恵まれている。どうしても避難者の収容人数が多い施設を慰問した方が効率がいいからだ。それはある意味仕方がない。
外れの小さな港町や原発のある地区はどのボランティアも行きたがらない。行く手段もない。

西田さんが前日NHKのニュースで女川町の避難所でこのようなメッセージボード持っている女性を偶然見つけた。
「朝は希望に目覚め。夜は感謝で眠る」
これは大谷社長の著書のメッセージと全く同じ内容だ。
しかし女川町中心部からもかなり外れにあり、さらに女川原発からも僅か6kmしか離れていない。
3人で悩んだ挙句行くことにした。場所はスローライフビレッジ野の浜。

海から20mはある崖の上に建っている。それでもさらに2階部分まで浸水したというから信じられない。電気や水道もないところだが漁師とその家族が明るく元気に過ごしていた。

電気もガスも水道もない


 
 
残念ながらTVの女性はこの日仙台へ葬式に出かけていて不在だった。

しかし石森あき子さんという友人と旦那さんの区長が優しく丁寧に接してくれた。
「よしみちゃん(TVに出ていた)は物欲がなくとても優しい人だよ」

ここで骨盤調整体操を披露。みんな熱心に覚えていた。
皆さんの掲載許可をいただいて写真を撮らせてもらった。
 
漁師である区長はこれまで人生で3回も津波で家が流された。万全の津波対策の心構えがあっても今回の津波は想定外のものであった。

風光明媚で長閑だ。復興したらぜひまた訪れたい。

許可をいただいて写真撮影。


この対岸には女川原発がある。牡蠣やアワビの養殖も被害でできなくなった。
 
 
 

★★牡鹿半島の電気がない地区

※この日の主な訪問先
・骨盤セラピストの西田さんの紹介で女川町勤労青少年センター
・女川町スローライフビレッジ野の浜
・牡鹿半島の小さな漁村(電気がない)
・女川町立病院の物資担当者
・石巻市の大谷社長の友人の薬剤師
・東松島市の保健所
・石巻市役所

投稿者:katahira  更新日:2011年4月17日

 
 

陸前高田市内の駅のホーム。周囲の駅や商店が流されていて辺りは何もない
 
陸前高田市に着いた。

街がそのまま消えている。もう言葉がでない。
役所が流され、高台の住宅地の合間にプレハブ小屋をいくつか作り、その中が役所の機能となっていた。

今回の一行で竹内信賢先生の友人の上部一馬氏が同行。上部氏は陸前高田市出身の健康ジャーナリストで、陸前高田市長と友人。今回の津波でご実家と、5つの親戚の家が流され、親戚が5人になったそうだ。もうそれ以上のことを聞くことができなかった。

上部氏が前乗りして陸前高田市の市長へブランケットを手渡してくれていた。

手前の車が郵便局。左プレハブが銀行。左手奥のプレハブ小屋群が仮説市役所。課が小屋ごとに分かれている。


 
 
私たちのチームは陸前高田市民部健康推進課を訪問。10枚のブランケットを確かに届けさせていただいた。

 












気仙沼市。
辺りは一帯焼け野原だ。駅前の商店街に巨大な船が乗り込む。海からも数キロ離れていながら、目に飛び込む風景に唖然とする。
市街地に巨大な船が乗り入れている。倒れないように両側に緊急で支え棒が溶接されている。
  避難所の一つ、気仙沼市立気仙沼小学校を訪問。町が壊滅状態にあることから小学校に被災した保育所、介護施設、病院、保健所などが仮住まいしていた。市役所の担当者が介護施設や病院につないでくれた。骨盤調整体操を数名に施術。積極的に覚えようとしてくれた。

漢法・赤ひげ堂院長 竹内信賢先生とジャーナリストの上部一馬氏

※この日の主な訪問先
・陸前高田市立第一中学校
・陸前高田市民部健康推進課
・気仙沼市民健康管理センター「すこやか」健康増進課や医療チームの拠点を紹介された。医療の現場を仕切るのが愛媛県から来た医療チームだった。
・気仙沼市立気仙沼小学校

投稿者:katahira  更新日:2011年4月17日

スタッフブログ ナビゲーション 最近の記事 代表片平の社長日記 スタッフ高井日記 カテゴリ別アーカイブ 月別アーカイブ