東京都港区六本木7-4-14-2階 乃木坂駅 より徒歩3分/六本木駅より4分
ホリスティックウェルネス tel 03-6434-7601
 
女川市街地から南の海岸沿い。小学校の校舎の上に引き潮時に流れたと思われる住宅が乗る
 女川市街地 3階建ての屋上に流された車が乗っている
 
 

4月14日のレポート
前日は風邪でダウン。頭痛とだるさで身体が動かない。アルファースリームを纏いながら実に20時間寝て翌日には復活できた。

この日は石巻市と女川町をくまなく歩く。

芸能人やメディアが集まるところはまだ物資に恵まれている。どうしても避難者の収容人数が多い施設を慰問した方が効率がいいからだ。それはある意味仕方がない。
外れの小さな港町や原発のある地区はどのボランティアも行きたがらない。行く手段もない。

西田さんが前日NHKのニュースで女川町の避難所でこのようなメッセージボード持っている女性を偶然見つけた。
「朝は希望に目覚め。夜は感謝で眠る」
これは大谷社長の著書のメッセージと全く同じ内容だ。
しかし女川町中心部からもかなり外れにあり、さらに女川原発からも僅か6kmしか離れていない。
3人で悩んだ挙句行くことにした。場所はスローライフビレッジ野の浜。

海から20mはある崖の上に建っている。それでもさらに2階部分まで浸水したというから信じられない。電気や水道もないところだが漁師とその家族が明るく元気に過ごしていた。

電気もガスも水道もない


 
 
残念ながらTVの女性はこの日仙台へ葬式に出かけていて不在だった。

しかし石森あき子さんという友人と旦那さんの区長が優しく丁寧に接してくれた。
「よしみちゃん(TVに出ていた)は物欲がなくとても優しい人だよ」

ここで骨盤調整体操を披露。みんな熱心に覚えていた。
皆さんの掲載許可をいただいて写真を撮らせてもらった。
 
漁師である区長はこれまで人生で3回も津波で家が流された。万全の津波対策の心構えがあっても今回の津波は想定外のものであった。

風光明媚で長閑だ。復興したらぜひまた訪れたい。

許可をいただいて写真撮影。


この対岸には女川原発がある。牡蠣やアワビの養殖も被害でできなくなった。
 
 
 

★★牡鹿半島の電気がない地区

※この日の主な訪問先
・骨盤セラピストの西田さんの紹介で女川町勤労青少年センター
・女川町スローライフビレッジ野の浜
・牡鹿半島の小さな漁村(電気がない)
・女川町立病院の物資担当者
・石巻市の大谷社長の友人の薬剤師
・東松島市の保健所
・石巻市役所

投稿者:katahira  更新日:2011年4月17日

 
 

陸前高田市内の駅のホーム。周囲の駅や商店が流されていて辺りは何もない
 
陸前高田市に着いた。

街がそのまま消えている。もう言葉がでない。
役所が流され、高台の住宅地の合間にプレハブ小屋をいくつか作り、その中が役所の機能となっていた。

今回の一行で竹内信賢先生の友人の上部一馬氏が同行。上部氏は陸前高田市出身の健康ジャーナリストで、陸前高田市長と友人。今回の津波でご実家と、5つの親戚の家が流され、親戚が5人になったそうだ。もうそれ以上のことを聞くことができなかった。

上部氏が前乗りして陸前高田市の市長へブランケットを手渡してくれていた。

手前の車が郵便局。左プレハブが銀行。左手奥のプレハブ小屋群が仮説市役所。課が小屋ごとに分かれている。


 
 
私たちのチームは陸前高田市民部健康推進課を訪問。10枚のブランケットを確かに届けさせていただいた。

 












気仙沼市。
辺りは一帯焼け野原だ。駅前の商店街に巨大な船が乗り込む。海からも数キロ離れていながら、目に飛び込む風景に唖然とする。
市街地に巨大な船が乗り入れている。倒れないように両側に緊急で支え棒が溶接されている。
  避難所の一つ、気仙沼市立気仙沼小学校を訪問。町が壊滅状態にあることから小学校に被災した保育所、介護施設、病院、保健所などが仮住まいしていた。市役所の担当者が介護施設や病院につないでくれた。骨盤調整体操を数名に施術。積極的に覚えようとしてくれた。

漢法・赤ひげ堂院長 竹内信賢先生とジャーナリストの上部一馬氏

※この日の主な訪問先
・陸前高田市立第一中学校
・陸前高田市民部健康推進課
・気仙沼市民健康管理センター「すこやか」健康増進課や医療チームの拠点を紹介された。医療の現場を仕切るのが愛媛県から来た医療チームだった。
・気仙沼市立気仙沼小学校

投稿者:katahira  更新日:2011年4月17日

 
宮古市
4月11日のレポート。

少しずつ今回の一行のメンバーを紹介しようと思う。

アメリカ人ジャーナリストのニューヨークタイムズの日本支局長のエバレット。
今、外国人のプレスは放射能の影響で日本にはほとんどいない。勇敢なジャーナリストといえる。

奥さんは有名な料理研究科の中島デコさん
http://www.brownsfield-jp.com/about/category_14 日本語も流暢で日本語でギャグが言える。ニューヨークタイムズの日本の支局長だ。

もう食料や衣服などの物資は行き届きはじめています。今被災地で求められていることは健康問題と感じた。エコノミー症候群が死因となる事例が多く、避難生活中の疲労やストレスが肉体的・精神的負担が大きいことを物語っている。

これは2011年4月11日 読売新聞記事
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
救えるはずの命が…相次ぐ「震災関連死」
 救えるはずの命が救えない――。3月末までに東北3県の主要病院で亡くなった282人は、震災が引き金となって命を奪われた「震災関連死」が疑われている。これは氷山の一角とみられており、今後も増え続けることは確実だ。
「暖房が使えず、寒さが体力を奪ったこと、震災のショックなどが死亡の間接的な理由」
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=39353
続く
・・・・・・・・・・・


今回の使命はアルファースリームを避難者へ手渡す。 はずだった。

しかし全員に配っていたら数は足りない。医療機器はただの毛布とは違う。市の保健所や避難所の医療従事者へ手渡すことにした。地元の保健師の方々はすぐに血液を温める大切さを理解し、さらに骨盤調整体操を熱心に覚える姿も多かった。エコノミー症候群対策にも有用なのである。

この日は宮古市から釜石市に入る。

宮古市役場にて


釜石市での活動中に大きな地震が起きる。このままいて大丈夫であろうか。津波はあるのか。この遠征の1週間での余震はとても多い。今思うとよく無事に帰ってこれたと思う。

釜石市の街も壊滅状態だった。市役所隣の避難所では小さなスペースに溢れんばかりの避難者が身を寄せていた。ちょうど夕食時で配給に列をなして待っていた。これが現実なのだ。少しでも元気を届けたい。

一番大きな避難所の釜石小学校を訪問する。保健師の方々5名ほどで丁寧に受け入れてくれた。4名に骨盤調整体操を実際に施し、手順を教えた。

今回山梨から車を出してくれた骨盤セラピストの西田延康氏。ご家族がアルファースリームと骨盤調整体操によって救われ、それ以来積極的な普及活動に勤しむ。今回のボランティアの発案者は西田氏だった。小生は二つ返事で行くと答えた。
そのことを大谷社長にただ伝えただけだったが間髪いれずに「俺も行く」と答えてくれた。

この3人に迷いはなかった。

解決策があるのであればそれを提供したい。ただそんな想いだった。

エバレットは原木で作られた天然ハブラシを愛用。現代でも中東やアラブ社会では、使われているよう。


これは10日の朝。宮城県白石市の小生の実家で記念撮影。後ほど大谷社長と仙台オフィスの佐藤社長が合流


※この日の主な訪問先
・宮古市保健福祉部健康課 (宮古市役所が被災しているので近くの中央公民館の2階にて)
・宮古保健所 保険課 健康促進グループ
・釜石市役所隣の避難所内 企画調整係
・釜石小学校

  ★骨盤調整体操とは

投稿者:katahira  更新日:2011年4月17日

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